7日目 (10月27日)
鯖大使 一番乗り!
昨夜は稲光と豪雨で、明日は大丈夫かと思っていたけど、朝にはスッカリ上がってました。
今朝は目覚めがよい。夕べのお遍路さんに、『最低でも7時半には出発』と言われていたので、朝食も早めにいただき、鯖大使へ。ってもすぐそこで、多分一番乗りでした。
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鯖大使には『お山の八十八箇所』という展望があり、多少登るけど絶景です。
朱印していただいた方に、『何事も絶対自分に戻ってくるから。』と御言葉おいただきました。
最御崎寺まで、距離があり、見所のある箇所がたくさん。
途中、歩き遍路さんと一緒に休憩。
もう25回目だとか!
お遍路さんに悪い人はいない。
75歳の方もいて、皆さまパワフルでした。
お昼は、たこ焼きを食べた。美味しかったけど、喉が乾いた…
ずっと走り続けると、夫婦岩。仲良くずっと一緒に並んでいた。
青年大使像の中に入った。堂内には大使御手形があるはずなのだが、どこにあるかわからず、入口で聞いてまた戻った。
御手形に手を合わせ、ご縁を結んだ。
77歳の姫路からのご夫婦と一緒だった。カジュアルでお若くみえる夫婦。お二方もどこに御手形があるかわからず、見つかって良かった。
合わせると小指が長かったな。
『良き人生を。』とお別れをした。
いただいた、海洋深層水塩飴、メチャクチャ美味しかった。
すぐ隣にみくろ洞。ここで大師は修行された。
実際に修行していた神明宮には、落石があり、危険だが、自己責任なら行ってもよいので、カラーコーンをまたいで、もちろん拝んだ。
『空と海が見分けられなーい。それほど澄んだあの気持ち~♪』
purety by TUBE
自分の好きな歌であるが、まさにピッタリなんで、口ずさみながら走った。
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時間が足りない
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中岡慎太郎像にも挨拶をして、最御崎寺へ。
時刻は15時頃で、今晩は旅の宿 美園に予約していた。
もしかして間に合わない?
津照寺へ向かった。
自分の場合、お寺の滞在時間は約30分。見どころがあると、それ以上かかる場合も。
急ぐのは駄目とはわかっていながらも、これを逃すと次は30キロ越え。
美園に連絡すると、『明日戻ればいいやん!』と一言。
悩んだが、行くことに。
学生時代は野球に熱中し、体力はまだある方だとは思っていたけど、キツイ。
時間と距離と精神と体力と。
まさしく修行だった。
無理せず、宿探せばいいのだが、美園には泊まりたい。
必死のパッチ。
焼山寺より、鶴林寺よりも辛かった。
70キロは走っていたし、長い坂道。
最御崎寺でお会いした方に、『絶対に間に合う!頑張って~』と言われ、『いや、車だからでしょ。』と心で思ったが、そんなこと思ってるうちはまだ修行が足りない。
ゼーゼーハーハーの死に物狂いでギリギリ到着。
納経に向かうと、携帯で話しながら書こうとする。
おいおい、と思ってたら、他の人が来て書いてくれた。
必死で来たのに。
今回も自分の段取りが悪い。
ただ、仕方のない時もあるけど、心のゆとりは絶対に必要。
わかってはいるけど。。。
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みくろ洞の団体さんと一緒だった。
『お気をつけて、事故のないように。』と声をかけていただいた。
津照寺の大師堂の写真を撮り忘れ、明日引き返すことを思えば、と向かって写真を撮ったけど、お寺の方はどうぞと言ってくれたが、やはり夜はよくないと感じた。
どっかへ イっちゃいそう
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そして、旅の宿 美園へ。
この道のりが半端なくキツかった。
辺りは、もう真っ暗。
同じ道をひたすら走る。
ライトのチカチカと、ずっとペダルをこぐ感覚で、無心になり、なんかどっかへイっちゃいそうだった。
夜空は三日月で、星空で溢れ、綺麗だった。
しかし遠い。
首痛い。
手が痺れる。
おしり割れそう。
逆風ハンパない。
疲労困憊。
なぜか足は痛くない(笑)
そして美園に電話しても出ない。
場所わかりずらい。
携帯で検索して、お土産にアイスを購入し、美園へ。
放心状態でしたが、バブル風呂が気持ち良かった!
時間は、もぅ9時だったかな。
社長が9月始めに宿泊していて、『2回目は特別や。』と、鰹のタタキもいただいた。
僕は1回目ですけど(笑)
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美園さんはトマト栽培をはじめるみたいで、必死に勉強し、プレゼンで発表する段取りをしていた。
いくつになっても勉強だなぁ。
ビールを飲みながら、色々お話した。
親切に対応してくれる。
『土佐の女は よう働くんじゃ(笑)』と。鼻歌が印象的でした。
美園さん、本当にありがとう。
善根宿はぜひ泊まるべき。
今回お遍路さんはいらしてなかったけど、自分が普通に宿泊できるありがたさがわかる。
歩き遍路さんはいかに安く泊まれるかを考え、善根宿を利用する。
その時の出逢いが大切だと。
あー、今日は走行101.3キロ。
自分はそんなに走ることないと思っていたが…
トレッ君、お疲れ様でした。